海に突きだし、あるいは静かな湖に伸びる桟橋(jetty)は、出発、到着、楽しみに待つこと、そして移動することにまつわる場所です。そこは、大きな冒険に出る前にいったん立ち止まるところです。
あるいはそれは、旅そのものです。たとえば、4月8日にプリンス・オブ・ウェールズ(ウェールズ公)によってオープンしたウィンダミア蒸気船博物館 (Windermere Jetty Museum of Boats, Steam and Stories)がそうです。 「湖の光景、匂い、生活の音」を紹介するために建てられたこの建物は、ガラス張りの壁が観光客を迎え、訪れた人たちの視線をまっすぐボートハウスを通り抜けてウィンダミア湖へと向けさせます。 そこでは、訪れた人たちが実際にその岸から一歩踏み出さなくても、イギリス最大の湖(14.8平方キロメートル)の生命を体験することができるのです。
コレクション
博物館には、1780年から現在までのウィンダミアの船舶の物語をさまざまな古い展示方法や新しい展示方法で伝えています。 船舶の操舵ロープからトイレ設備まで、船にまつわるすべての備品を網羅した大きくレトロな索引カードが、絵画や動画、対話型タッチパネル、音声、博物館の船舶展示物と一緒にあり、ウィンダミアの船舶の歴史に命を吹き込んでいます。 博物館の常設展示には、世界で最も古い機械動力の蒸気ボートの1つであるドリー号(Dolly、1850-60年建造)や、イギリスで最も古いヨットのマーガレット号(Margaret)、世界記録を破ったスピードボート、 カヌー、さらにはウォーターグライダーまでもが展示されています。わたしが訪れた日には、1930年のアーサー・ランサム(Arthur Ransome)の小説に基づき2016年にリメイクされた映画のスター、セーリング・ディンギーのツバメ号(Swallow)とアマゾン号(Amazon)がボートハウスに停泊している船舶展示の中心にありました。
よい船舶にもわるいことが起きる
1日に2回博物館で開催されている保存ワークショップでは、訪れた人たちが職人の仕事に触れることができ、博物館の歴史的工芸品の展示品を慎重に保存したり復元したりする様子を見学できます。船には悪いことも多く起こってしまうようです。現在、ケンダルのアボット・ホール美術館から、ウィンダミア蒸気船博物館に貸し出されているフィリップ・ジェイムズ・ド・ラウザーバーグ(Philippe-Jacques De Loutherbourg, 1740-1812)による絵画、『ベル・アイル島、嵐のウィンダミア(Belle Isle, Windermere in a Storm)』には、不運なシーンが描かれています。 1635年に嵐がウィンダミア・フェリーを襲い、花嫁、花婿、ゲスト45名と11頭の馬が溺れ死んだ結婚披露宴です。また、ドリー号は、ウィンダミアで汽船としてデビューしてから4年後の1895年、大寒波(Great Freeze)で沈没し、アルスウォーター湖(Ullswater)の底で65年以上沈んだままでした。 ビアトリクス・ポター(Beatrix Potter)が所有していた小さな底が平らの漕ぎボートは、 1975年に沈み、約25年後にモス・エクルズ・ターン湖(Moss Eccles Tarn)から引きあげられました。
文学で描かれる幸せな結末
それでも、船は楽しいものです。ビアトリクス・ポターは、1903年にモス・エクルズ・ターン湖を購入し、そこで幸せな日々を過ごしました。 湖をユリの花と魚でいっぱいにし、湖の上でポッタり(失礼!)のんびり過ごしました。彼女の船は、1896年にポターの友人で元家庭教師の息子、ノエル・ムーア(Noel Moore)に送った手紙に描かれています。その少年は、後に大人気となるあのピーターラビット、ビアトリクス・ポターの最初の絵手紙を受け取った男の子です。
子どものときの休暇中に、ウィンダミア湖やコニストン湖での舟遊びの経験をもとにしたアーサー・ランサムの『ツバメ号とアマゾン号』と『長い冬休み』の2冊も、水遊びをした幸せな時間を呼び起こします。本で紹介されているペンとインクのイラスト、ランサムの最初の鉛筆スケッチは、博物館の対話式タッチパネル画面で見ることができます。スケッチは、ウィンダミア湖(現在は蒸気船博物館所有)のエスペランス号や(1869)とコニストン湖のゴンドラ号(Gondola、1859建造)に影響を受けた『ツバメ号とアマゾン号』のフリント船長の屋形船のアイデアも含んでいて、ゴンドラ号は今もナショナル・トラストによって所有され、現在もコニストン湖で活躍しています。
静かなひっそりとした場所からはほど遠く
静かな景観、ガラスのような湖、そして荒々しい森を求めて、世界中から世界遺産イギリス湖水地方を訪れる人たち。でも、レイクランドは、氷河はもちろん、農業や家畜、産業によって形作られた風景と同じくらい、そこで暮らす人々も魅力的です。そこでは、18世紀から19世紀の産業の先駆者たちが、産業革命を進めるために必要な貴重な鉱物や金属を調達するために、丘の中の採石場や、山の中の坑道を掘り出しました。そして18世紀頃からは、観光客が湖水地方を多く訪れます。はじめは、芸術家や詩人、裕福な人たちが田舎の隠れ家や「絵のような」場所を求めてやってきました。のちに、1847年にケンダルからウィンダミアへのウィンダミア鉄道が開通すると、工場労働者がマンチェスターやリバプールの郊外から新鮮な空気を求め集まりました。
有名なイギリス人画家、JMWターナー(JMW Turner)による19世紀の絵画『ウィンダミア1821年(Windermere,1821)』(現在は、ケンダルのアボット・ホール美術館から蒸気船博物館に貸し出されています)は、当時この地を訪れた人たちの興奮をとらえ、地元の漁師や、スレート職人、渡し船業者と共に、湖で一日を楽しんでいる女性や紳士たちのお洒落な一行が描かれています。興奮は、博物館に展示されている実際の冒険者たち、ウィンダミアの広大な水に引き寄せられた発明家やエンジニア、デザイナーたちよっても伝えられています。後に2つの世界大戦でイギリスにとって重要な役割を果たす最初のイギリスの水上飛行機の開発者であるオスカー・グノスペリウス(Oscar Gnosspelius)とエドワード・ウェイクフィールド(Edward Wakefield)、そして、1950年代にウィンダミアで4つ以上の世界水上速度記録を出したことで知られるノーマン・バックリー (Norman Buckley MBE)。アーサー・ランサムとともに彼らは単に、「知覚する目を持ち、楽しむ心を持っている」(”with an eye to perceive and a heart to enjoy”ウィリアム・ワーズワース、湖水地方案内Guide to the Lakes 1810)人々のための牧歌的な田舎というだけでなく、永遠に冒険を求める人たちのための場所としてのウィンダミア・ブランドを築き上げました。
船が来るのを待ちながら
博物館を散策しながらお腹がすいてきました。ウィンダミア湖を見渡す博物館の明るく広々としたレストランで昼食をとりながらリラックスしたり、蒸気船オスプレー(Osprey、1902年建造)で桟橋から出て行くこともできます。わたしは、博物館を背に日差しが射し込むベンチに座って湖の向こう側を見ながら、ピクニックをしました。この桟橋は「旅」そのものです。まるで1日中旅行をしたよりももっとのことをしたように、カフェで娘と一緒に座っている一人の紳士と同じく、戻ってくるオスプレーを眺めながら満足した気持ちでいました。わたしは、そこにいた娘から、その父が2006年の博物館閉館の約30年前からウィンダミア蒸気船博物館の前身の博物館 を管理していたこと、そしてその父が博物館に再び脚光があたることを待ち望んでいたことを聞きました。
もう一つのウィンダミアの過去は、しばらくの間は沈んでいましたが、再びうっとりと水面に戻ってきました。船が着くのを待つ痛みや喜び。いつかその時がやってくることを知りながら。