Kendal signpost © David Pheasy

花の力とともにのりきるレイクランドでのロックダウン生活

ロックダウン(都市封鎖)政策の中、わたしは子どの頃のことを思い出していました。こんなに多くの時間を手にしたのは、子どもの頃が最後だったからでしょう。毎日何もすることがなく過ごし方がわからない夏の日々。何かしなければ、とは感じていますが、何をしたら良いのでしょうか。自分ではどうしようもない未来を心配しながら、眉間にシワを寄せて疲れ果てて目を覚ます。どうなるのかが分からないことに直面し、子どもの頃のように無力で、思い通りにならない気持ちを感じていました。 Questions, questions… 当時、わたしはI-Spy(アイ・スパイ、『ミッケ!』)の本と共に外で長い時間を過ごし、家の近くの野原でジギタリスやチョウ、野ネズミやゴシキヒワ、ズアオアトリ、白黒まだらのブチ柄のポニーを探して過ごしていました。オークの木とトネリコやブナの木の違いを見分ける方法や、地面にあいている穴に動物が暮らしているのか、それともただの古い穴なのかを知るために長い時間をかけたりしていました。夕食の時間に家に帰るときにはいつも、鳥の骨や羽、後に動物の糞と判明したものを持ち帰ったり、ワラビの茂みを這い回ったり木に登ったり、巣穴を掘ったりしできたあざや傷と共に帰りました。 産業都市ストックポットのざらざらした郊外の町で育ったわたしにとって、視野や寝室の壁が狭すぎると感じたときは、深呼吸させてくれる場所でした。いくつかの住宅団地の間に残された細長い林が続く場所を通って行くあまり流れのない池や、リバー・ゴイット川を通り緑地まで続く一続きの農地で自由に過ごしていました。家の裏側には、水の流れによって地表面が削られてできたガリや、道路の終わりには、野原があました。そこは1980年代、高速道路建設のために緑地2箇所が確保されましたが、幸いにも使われずにそのままになっていました。秘密の友だちと現実の友だちが、この気ままな生活に付き合ってくれていました。わたしは、野性的で自由で、大胆で、冒険で、無謀な人になることを経験しました。人間の野生にはならないまでも、自然と一体であると感じました。夢中になって時間を過ごし、どこかで何者かになることを探していました。 Another child, another woodland 何十年もの時を早送りして、今回のロックダウンまで戻ってきました。自分が誰で、どこへ、そしてどうやっていくのか?今もあの頃と同じように、唯一の答えは歩くということです。どこに行き、そこに着くかどうかは気にせずに、足を一歩一歩前に出すこと。それはわたしが知っている今できる唯一のことです。 歩きながら瞑想するに、ケンダルは最高です。この「オールド・グレイ・タウン」は、歩いて回るのに最適で、丘の中腹にへばりついている石造りの家々の間をごちゃごちゃした庭や路地が曲がりくねり、小高い丘の上には2つの城がたたずんでいます。東にはケンダル城、14世紀には、パー(Parr)一族もここで暮らし、ヘンリー8世の6人目の妻が生まれたところです。西にはハウ城があり、ケンダルの最初のノルマン人が建造した城の跡です。どちらからも街の素晴らしい景色を楽しめます。リバー・ケントのそばから始まり、町の公園や古くからの緑地を眺めながら、散歩に組み込むことができます。 A ruin with a view Saying hello to the neighbours わたしは町を見守る丘へ行くのが大好きです。お気に入りのヘルム山(185m)は、緩やかな丸い丘で、頂上には石器時代のヒルフォート(砦)があります。そこから北西には、ナットランドやオクセンホルム、ケンダルの向こうに広がる湖水地方の美しい景色を誇り、さらに南西にはモアカム湾が望めます。ヘルムへは5月が良い時期で、ハリエニシダとブルーベルが咲き乱れる丘の斜面には、満開のサンザシの木が点在していて、遠くには海へと続くケント河口の水がきらめきます。 Gorse under a blue sky in May on the Helm Not looking so grey from the Helm – Kendal, the auld grey town Looking out from the Helm towards the Kent Estuary 5月に同じように美しいのは、サーペンタインの森の中の落ち着いたまだら模様の緑です。1824年にケンダルの人たちに与えられました…